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KOREAN BOOK CAFE ちぇっちゃり

─コリアンブックカフェ─

今読みたい本!磯貝治良『戦後日本文学のなかの朝鮮韓国』(1992)

アンニョンハセヨ〜!
みなさんいかがお過ごしですか?
ちぇっちゃりは休館しているのですが、6月から開館する予定です。
おうちでちぇっちゃりもあと少し。。

先週に引き続き、本の紹介をしたいと思います。

今日紹介させてもらうのは、私が今読みたい本(まだ読んでいなくて今から読む本)、
磯貝治良『戦後日本文学のなかの朝鮮韓国』(1992)です。

磯貝治良さんは、長年、在日朝鮮人文学について論じてらっしゃる方で、1977年以来現在に至るまで名古屋で「在日朝鮮人作家を読む会」を主宰されています。

在日朝鮮文学研究の第一人者といえる磯貝治良さんが、1992年に発表した本著の目次を紹介します。

第Ⅰ章
歴史への視座ー近代以前
歴史への視座ー「韓国併合」前史
歴史への視座ー植民地時代
歴史への視座ー解放後
「責任」の所在

第Ⅱ章
植民地体験への凝視
植民者の原風景と自己剔抉ー小林勝の作品
<彼岸の故郷>としての朝鮮
朝鮮への愛着と傾ぎー梶山季之の小説 李朝残影 など
植民地体験と戦後の意識

第Ⅲ章
腐蝕をうつものたちー井上光晴の文学と朝鮮
「民族」が照射する「国」と「民衆」
架橋を求めてー1980年代以前
架橋を求めてー1980年代以降
“日本名”在日朝鮮人作家について



目次を見ると、ますます想像が膨らみますよね。

次に、第1章の最初の文章の一部を紹介します。

日本と朝鮮のあいだの関係史をふりかえってみるとき、
わたしたちの目のまえに浮かびあがってくるのは、
暗い色調のよじれ曲がった一枚の映像である。
ながい歴史の画面をそれらの色調でぬりつぶすことは、一面的にすぎるかもしれないが、その基調を避けて通りすぎることはできない。
日本にとって朝鮮韓国とは何であったか、朝鮮韓国にとって日本とは何であったかーそれを精確にとらえかえすことは、日本人が現在を生きていくうえで実存的にも、社会的にも、非常に大切なことだとおもう。
たんなる歴史認識にかかわる問題ではない。
戦後四十七年を経過したいまもなお、日本人の存在そのものをさまざまに呪縛しているゆがみの原基に朝鮮および朝鮮人観のそれがある以上、わたしたちがみずからを解放しうるか否かにかかわる問題である。(14頁)


この文章からは、磯貝治良さんが在日朝鮮人文学の探求をする理由・背景を伺うことができます。
「日本人」として「朝鮮韓国」とどう向き合うか。「戦後」とどう向き合うか。
いかに「呪縛」や「ゆがみ」の思考や固定観念から「解放」することができるか。

今にも十分、通じる内容です。
ここで述べられているように、社会、歴史、自分自身の考えを、どこまで批判的にみれるのかは、どの時代においても重要なこだと思います。
情報が行き交う今、「呪縛」や「ゆがみ」を、テレビ、新聞、ネットニュース、SNSにも置き換えることもできるのではないでしょうか。

また、磯貝治良さんは、日本と朝鮮半島の関係史を「暗い色調のよじれ曲がった一枚の映像」と表現されていますが、
この「一枚の映像」は現在まで続き、これからも続いていきます。
歴史というのは一枚岩で途切れることはないです。
現在・これからの「一枚の映像」の内容がどのようなものになるのかは、私たち次第だな、と思わされました。


読書の醍醐味は、いつ・どこで書かれたかに関係なく、新しい発見や今にも通じることを見つけることがですね。
これから、じっくり読んでいきたいと思います。

それでは、みなさん良い週末を♪



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